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第1章)タイまず、成田からタイ国際航空に乗り、バンコクのドン・ムアン空港に到着した。バンコクを訪れるのは5年ぶりである。ベトナム行きとミャンマー(ビルマ)行きの飛行機への乗り換えを目的としていたため、バンコクには合わせて1日半しか滞在しなかった。高層ビルが増えている他、高速道路が完成していたり、高架鉄道が建設中であったりするなど、わずか5年で大きな変貌を遂げていたので大変驚いてしまった。 |
![]() (写真1:ムエタイ<タイ・ボクシング>の試合の様子) |
![]() (写真2:ハノイで見掛けたレーニン像) |
第2章)ベトナム1)北部バンコクからハノイに到着。空港の両替所は日曜日だったためか、誰もいない。やたらとタクシーの客引きがうるさいが、タクシーなしでは市内に行けそうになかったので、とりあえず、タクシーを捕まえて市内に向かった。空港を出ても、一面に広がる農地しか見えない。初めての土地だったこともあり、私は大変不安になってしまった。市内に到着するまで、随分と時間が掛かったような気がする。市内に入ると、ホーチミン市(旧サイゴン)と比べ、やたらとくねくねした狭い道が多い。もう時間が夕刻だったので、適当に街歩きして翌日に備えた。 |
| その翌日は、ハノイ郊外のホアルーに行くツアーに参加した。驚いたことに、バスの中の15人の観光客のうち、12人はフランス人であった。そう、ハノイに来ている白人観光客のほとんどは、実はフランス人だったのである。まあ、旧宗主国だからといえば、それまでなのだが、何でこんなにフランス人がいっぱいいるんだ!?彼らに聞いてみたところ、どうやらエア・フランスがパリからハノイに直行便を飛ばしているためらしい。 それにしても、こいつら、バスの中でも食堂でも、ずっとフランス語で話しやがるし、「いい加減にしやがれ!」と、むかついていたところ、ホアルーで観光用の船に乗ると、今度は、途中で物売りの船が沢山待ち構えているし、その挙げ句に、船頭はチップを要求してくるし、「いい加減にしやがれ!」と、またまたむかつく羽目となり、そのまま北部の旅は終わったのであった。 |
![]() (写真3:ハノイ郊外:ホアルーの遊覧船) |
2)中南部中南部は、昨年一度来ているので、今回はそんなに観光には注力しなかった。まず、ハノイから中部のフエまでは鉄道、そして中部のダナンからホーチミン市へは飛行機を使った。ホーチミン市では、前回の旅行でお世話になった家族経営のホテルでのんびり過ごした。最終日には、ホテルの娘さんと一緒に、マジェスティックホテルの最上階に夕食を食べに行ったのだが、どういうわけか、そこには日本人が結構いた。ここではベトナム料理とフランス料理をミックスしたような料理が出されたが、なかなか美味しかった。(なお、ホテルの娘さんには手を出していません。) 第3章)ミャンマー(ビルマ)1)ヤンゴン(旧ラングーン)ベトナムのホーチミン市からバンコク経由でヤンゴンに到着。まず、入国審査があるのだが、その際、ミャンマーでは、US$300を現地の外貨兌換券FECに強制的に両替させられる。FECはミャンマー国内のみで使用可能で、国外では単なる紙屑に過ぎないものであり、一旦FECにしてしまうと、米ドルへの再両替はできない。事前の情報で、この強制両替を無視して突破することができるような話も聞いていたのだが、私の入国時は空港職員がガッチリとガードしていたので、とても強行突破できるような状態ではなかった。そんなわけで、US$300がすべてFECになってしまったのである。ああ悲し・・・。私の便で強行突破できた人はいなかったように思う。ただ、翌日の便で入ってきた人の何人かはFECに変えずに済んだらしい。日によって状況が違うのだろうか・・・?さて、到着したのは夜だったので、とりあえず、ヤンゴン中心部に位置するスーレーパゴダの近くに宿を取り、翌日に備えた。 |
![]() (写真4:ミャンマー観光年の謎のマスコット) |
街中には日本の中古車が目立つ。バスは日本から持ってきた横浜市営バスや東急バスをそのまま使っているようだ。ベトナムでは、京都市営バスをはじめとした関西系のバスが多かったのだが、ミャンマーでは関東系のバスが多い。また、「左へ曲がります。ピーピー。左へ曲がります。ピーピー。」などと音を出しながら、日本のごみ収集車が走っていた。(車の横と後ろに「横須賀市清掃局」と書いてあった。) それにしても、昨年から「ミャンマー観光年」だとか言っているわりには、ビルマ文字ばかりで、アルファベットの表示がほとんど見当たらない。バスの路線もビルマ数字で書かれている。数字を覚えないことにはバスに乗れないので、お陰でビルマ数字を全部覚えてしまったほどだ。また、観光年と言えば、あの不気味なマスコット(男?女?)は、一体何者なのだろうか?現地の人も名前すら知らないと言う。街の至る所に立っているのだが・・・。 |
| 観光年のマスコットのインパクトが相当強かったのか、こいつは夢の中にも出てきてしまった。混乱する頭のまま起床し、翌日はヤンゴン市内の観光名所を見て回った。とはいっても、ミャンマー最大のシュエダゴンパゴダと国立博物館くらいしか見るところはない。仕方がないので、監禁中のアウンサン・スー・チーさんの家に行こうとしたのだが、タクシーの運転手に断られてしまった。(「自分には妻と3人の子供がいるから勘弁してくれ!」とか言っていた。)やはり危険なのだろうか? そして、その日の夕方、ミャンマー第二の都市でもある古都マンダレーに向かうため、鉄道駅に向かった。ところが、何ということだ!洪水のために、列車の出発が9時間も遅れてしまったのだ!予約の時には、こんなに遅れるなんて言ってなかったぞ!(まあ、雨季だったので予測できないこともなかったのだが・・・。) 待ち時間が異常に長かったため、駅で知り合った日本人旅行者と一緒に夕食を食べに行った。ミャンマー料理は中華料理、インド料理、各種の東南アジア料理が混ざったような感じで、全体的に味も薄く、これといった特徴はなかった。 |
![]() (写真5:シュエダゴンパゴダ) |
2)マンダレー&バガン(旧パガン)結局、13時間遅れで古都マンダレーに到着。さらに4時間も遅れたのは、洪水の影響で途中で何度も止まったりしていたためだ。朝に着くはずが、もう夜になってしまっているので、丸1日を列車内で潰してしまったことになる。翌日は、マンダレーヒルに登って、その麓にあるパゴダ群を見た後、旧王宮を見て、夕方、車をチャーターして遺跡の街バガンに向かった。大変駆け足になってしまったが、1日遅れてしまったので、これも仕方なかろう。バガンに着くまで、運転手がタイヤの取り替えとかをやっていたので、結局、7時間くらいかかり、到着は夜の12時過ぎになってしまった。 |
![]() (写真6:世界最大の涅槃仏。いい笑顔だね) |
3)バゴー(旧ぺグー)バガンからヤンゴンへはエアーマンダレーの飛行機で戻った。飛行機を使ったのは時間の節約という意味もあるが、それ以上にFECを全額使い切る必要があったためだ。今回飛行機を使ったことで、何とか300FECを消化することができそうだ。現地の物価は異常に安いため、高級ホテルに滞在でもしない限り、1週間くらいの滞在で普通に観光するだけでは、300FECを全額使うのは困難だと思う。 |
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