いなぽんの香港・マカオ旅行記(1999年12月下旬)


1999年12月は、マカオ(澳門)のポルトガルから中国への返還日(12月20日)に併せて、香港、深セン<土へんに川>、及びマカオを訪れました。

(1)香港

香港に行くのは、丁度6年ぶりだったのですが、きれいな新空港ができていたり、最新鋭の共通乗車カード(地下鉄の改札口やバスの乗車口で”かざす”だけで乗り降りができるスグレモノ)ができていたりしたので、到着早々、大変驚かされました。

従来の啓徳空港では、飛行機が市街地の上空を旋回しながらビルの高さすれすれまで下降して着陸するスリルが味わえたのですが、ランタオ島に新しく作られた新空港は市街地から遠いため、まったく危険を感じさせない着陸でした。また、距離はあるものの、エアポートエクスプレスに乗ると、九龍半島や香港島までわずか20分という快適さでした。

さて、香港の街は、相変わらずの活気でしたが、日本と同様、景気が悪くなっているためでしょうか、6年前と比べ、多少、エネルギーが落ちているような印象を受けました。

(写真1:ビクトリアピークから見た香港島の超高層ビル群)

(2)深セン

香港到着の翌日は、中国の深セン(しんせん、シェンチェン)経済特区に行ってきました。国境(両方とも中国なので、厳密に言えば国境ではないのですが・・・)のイミグレーションが異常に混雑していたため、「経済特区ビザ」を取得する時間を含め、深セン側に入るのに、何と、2時間も掛かってしまいました。もう、うんざりです。週末だったこともあり、香港からの買い物客が多かったことが、その一因のように思えました。


(写真2:深センの中心部で見掛けた巨大な看板)
また、越境の際に、ちょっとしたトラブルがありました。香港と深センの境界に掛かる橋で、深セン側に向けて写真を撮ったら、深セン側イミグレーション内の撮影禁止地区が写ってしまったらしく、橋を越えたところで深セン側の係官の連中が、「フィルムをよこせ!」とカメラを掴んできたのです。突然のことで結構ムカツイタので、「ふざけるな!カメラに触るな、この野郎!」と、日本語でわめきながら激しく抵抗したら、困ったような顔をしながら、あっさりと解放してくれました。徹底的に抵抗するなんて、本来は大変危険な行動なのですが、所詮は本当の国境ではないため、許してもらえたのかもしれません。

深センの街は、超高層ビルが立ち並ぶ大都会でしたが、すべてが人工的で文化的な香りのまったくしない、歴史の浅い街に独特の雰囲気が漂っていました。なお、この街で一番高いビルである地王ビル近くの公園には、中国共産党の改革開放路線が百年間は不変であることを示す大きな看板がありました。(ケ小平(とうしょうへい)の顔がデカデカと出ていた。)

(3)マカオ(澳門)

深センから香港に戻り、マカオへの高速フェリーが出ている客船ターミナルに向かいました。客船ターミナルの中を歩いていると、複数の旅行代理店が目に留まりました。もう既に日没後だったこともあり、マカオのホテルの予約をあらかじめ取っておこうと考え、旅行代理店のひとつに入ってみました。

そこでマカオのホテルのリストを見せてもらうと、何と、どのホテルも、料金が通常の2倍から3倍くらいになっているではありませんか!ほとんどのホテルが、1泊1000パタカ(約15000円)以上になっているのには、驚きました。やはりマカオ返還の前後だからでしょうか?結局、一番安かった1泊500パタカ(約7500円)のホテルの予約を取ってもらったのですが、そのホテルにしても、普段の料金は、たったの 200パタカ(約3000円)であるようでした。

フェリーに乗り込み、1時間ほどでマカオに到着しました。もう遅い時間でしたので、客船ターミナルからタクシーでホテルに直行しました。さすがにカジノが多いだけあって、カジノ街に独特の怪しいネオンサインが目立ちます。しかしながら、潰れて営業していないようなカジノも何軒か見掛けましたし、当地の景気は、あまり良くないようです。ちょうど返還日の前夜でしたので、その日は、ぐっすり休んで、翌日に備えることにしました。

そして夜が明けました。実は、マカオにまで来ておきながら、当日の返還スケジュールについては何一つ把握していなかったので、とりあえず、ホテルに置いてあった新聞で、返還スケジュールを確認してみました。すると、どうも夕方までは、特に何も行われないようです。マカオに来たのが初めてだったこともあり、結局、夕方まで観光を楽しむことにしました。

マカオの街自体は、大変小さく(たったの3km四方くらいしかない!)、聖ポール天主堂跡、市庁舎、マカオ博物館くらいしか、特筆すべき観光スポットはありません。

(写真3:マカオの最も有名な観光史跡、聖ポール天主堂跡

(写真4:マカオ側から見た珠海経済特区の街並み)
仏教寺院やキリスト教会などを見ながら北に向かって歩いていくと、あっと言う間に中国との国境まで来てしまいました。国境の北側に見える珠海(じゅかい、ジューハイ)の街は、高層ビルの立ち並ぶ大都会でした。この珠海も、深セン同様、中国の経済特区の一つですが、深セン同様、歴史の浅い街に独特の雰囲気が漂っていました。

夕方になったので、返還式典の会場である、マカオ南端の「文化中心」に向かって歩き始めました。交通規制をしているためか、マカオの南側を走る大通りには、車が全然走っていません。どんどん南に向かって歩いていくと、やはり警察官に呼び止められてしまいました。そして、「一般人は、式典の会場には入れないから、市街地のイベントに参加しろ」と言われ、あっさり追い返されてしまったのです。

そこで、再び北上して、メインのイベント会場であるセナド広場にたどり着きました。どうやら、もうイベントは始まっているようです。そこで、ゆっくりと見物でもしようかと思ったのですが、中国本土や香港からも人が大挙して押し寄せて来ているのか、とんでもなく混雑していたため、イベントを見ることはおろか、身動きを取ることすら全然できません。

仕方がないので、もう1つのイベント会場である、聖ポール天主堂跡に向かいました。ここも、セナド広場と同様、メチャクチャ混んでいて、ロープの張られた会場内部には、とても入れそうになかったのですが、たいした管理体制ではなかったため、どさくさに紛れて内部に潜入し、何とか席を確保することができました。

天主堂跡のイベントステージでは、中国舞踊や歌劇などが、ずっと上演されていました。「一体いつになったら返還式典をするのだろう?」と思っていたら、午後11時半になり、ようやく返還式典の中継が始まりました。返還式典の様子は、会場に設置された大型プロジェクターで確認できるようになっています。

そして、午前0時に、ポルトガルの国旗が降ろされ、中華人民共和国の旗とマカオ特別行政区の旗が掲げられると、周囲から一斉に拍手と歓声が湧き上がりました。一見したところ、地元の皆さんは、結構大喜びのようです。ただ、残念ながら、上空に花火が上がったりすることはなく、結構地味な政権移行劇でした。

(写真5:大型プロジェクターに映し出された返還式典の様子


翌朝、香港に戻るために、タクシーでホテルからマカオの客船ターミナルに向かいました。この日から、マカオはポルトガル領から中国領となったわけですが、市内の様子は昨日と変わっていませんし、その実感が全然沸きません。

しかしながら、客船ターミナルに到着すると、そこでは既に、ポルトガルの旗に代わり、ちゃんと新しいマカオの旗が掲げられていました。また、”変化”はそれだけではなく、マカオを出国する際に押された出国スタンプは、”アルファベットのみ”の入国スタンプとは異なり、漢字入りの新しいデザインのものに変わっていました。それを眺めながら、「ああ、やっぱり、マカオは中国に返還されたんだあ・・・」と実感しつつ、マカオを後にしたのです。

以上


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