2.ヨルダン編



4) アンマン

エルサレムから行きと同じ経路を通って、アンマンに戻りました。イスラエルの国境検問所では、入国の時とはうって変わって、あっと言う間に出国手続が完了してしまい、そのあまりの対応の違いに驚いてしまいました。アレンビー橋を超えるバスも、随分とスムーズに走ってくれたこともあり、想像以上に早くアンマンに到着することができました。

ヨルダン観光のハイライトと言えば、やはりペトラなので、我々は、まず、 JETTのオフィスに行き、ペトラ行きのバスの予約を取ろうとしました。ところが、窓口のおじさんの話によると、ペトラ行きのバスは、毎日走っているわけではないらしく、明後日までバスがないというではありませんか。アンマンに2泊しても仕方がないので、結局、最初にヨルダン最南端のアカバに行き、それから北に戻っていき、最後にペトラを訪れることにしたのです。どういうわけか、アカバ行きのバスは、1日に何便も出ているようでした。

その日の午後のバスの予約が取れたのですが、それまで待合室でじっとしていても仕方がないので、アンマン市内を観光することにしました。しかし、観光名所と言えるようなものは、ローマ劇場跡の周辺にしかなく、あまり面白くなかったので、結局、イスラエルで買い損ねた死海のお土産を買うことにしたのです。

アンマン随一のスーパーマーケットである“セーフウェイ”に行くと、ちゃんと、「Dead Sea Product(死海製品)」というコーナーが設けられていたので、我々はそこでお土産を購入し、その後、JETTのオフィスに戻って、アカバ行きのバスに乗り込みました。

(写真8:アンマンのローマ劇場前にて)

5)アカバ

アンマンからデザートハイウェイをひたすら南下し、紅海に面した都市であるアカバを目指しました。デザートハイウェイの周囲は、本当に不毛な地ばかりです。結局、アカバまでは5時間くらい掛かったので、到着したときには、もう真っ暗になっていました。とりあえず、ここまでの旅程では、安宿にばかり泊っていたので、3人で協議した結果、アクアマリーナというリゾートホテルに宿泊することにしました。

アカバでは、“のんびり休息を取る”という予定を立てていたこともあり、翌日は、朝食後も、3人ともホテルの部屋でグタっとしていたのです。ふと、テレビのスイッチをつけると、何と、エルサレムの「神殿の丘」で、パレスチナ人がイスラエル兵に投石する騒ぎが起こっているではありませんか!イスラエル出国の翌日だったこともあり、本当にビックリしてしまいました。

こんな感じで、テレビを見ていると、いつの間にか昼になってしまったので、とりあえず、昼食を取るため、アカバの中心部に出掛けました。ホテルのあるエリアが、完全にリゾートしているのにも関わらず、中心部は、随分と庶民臭い場所でした。

中心部をうろうろしていると、ワディ・ラム行きのツアーを主催している旅行社を、偶然発見しました。アカバ、ワディ・ラム、ペトラの順で周ろうと考えていたところだったので、これは好都合です。早速、その旅行社でツアーの予約をし、そのままホテルに戻りました。


(写真9:アクアマリーナの客室から見た紅海)
ホテルに戻ってきたときには、もう夕方になっていたのですが、「せっかくビーチホテルに泊っているのだから」ということで、紅海で泳ぎました。死海(Dead Sea)で泳いだ後、紅海(Red Sea)で泳いだことになります。なんか不思議な感じです。結局、この日は、あまり泳ぐことができなかったので、その代わりと言うわけではないのですが、翌日の午前中に、思いっきり泳ぎました。

なお、ホテルのビーチはパブリックビーチになっていたため、地元の人たちも結構来ていたのですが、イスラム教国であるためか、泳いでいるのは男の人ばかりでした。

6)ワディ・ラム

ホテルをチェック・アウトして、予約を入れた旅行社までやってくると、「来る時間が1時間早い!」と言うではありませんか!何と、前の日で夏時間(サマータイム)は終わり、この日から元の時間に戻っていたのでした。仕方がないので、その辺をうろうろして時間を潰すことにしました。しばらくして、ワディ・ラムに向かう4WDの車が迎えに来たようでしたので、我々はそれに乗り込み、早速出発することになりました。

アカバからワディ・ラムまでは、舗装した道路で行くこともできるのですが、この旅行社の“特別サービス”らしく、砂漠の道を使ってワディ・ラムに向かいました。まあ、予想していたことではあったのですが、舗装されていないだけあって、とてつもなく道は悪く、猛スピードを出された時には、強烈な揺れで、頭も体もおかしくなってしまいそうでした。

こうして砂漠の中を疾走し、やっとのことでワディ・ラムの砂漠にやってきました。映画『アラビアのロレンス』の舞台となったことで有名な場所のようですが、私は、その映画を見たことがなかったので、いまいちピンと来ませんでした。しかしながら、砂漠にそそり立つ岩山は、本当に見事です。私はその景観に圧倒されてしまいました。

(写真10:赤い大地に岩山が連なるワディ・ラムの砂漠)

(写真11:「石の橋」にて。登るのがけっこう大変・・・)
そして、ワディ・ラムの砂漠に点在する史跡を車で周った後、宿泊することになっているテントまでやってきました。一応、砂漠の遊牧民“ベドウィン”のテントという触れ込みでしたが、やはり、本物のベドウィンのテントであるはずがなく、観光用に用意されたテントのようでした。

岩山の上から日没を眺めた後は、バーベキューの夕食の時間となりました。観光客は、我々3人だけなのですが、どこからともなく、ヨルダン人が次々と集まってきました。我々と一緒にバーベキューをするつもりのようです。彼らは、旅行社の関係者なのでしょうか?それとも、タダ飯を食べに来ただけなのでしょうか?

そして、バーベキューが終わると、今度は、何やら怪しげな宴会のようなものが始まりました。一人が太鼓のようなものを叩くと、それに合わせて、他の連中が歌を歌いながら踊りを始めるのです。これは、我々を楽しませるために準備されていたイベントなのでしょうか?それとも、我々とは無関係に勝手に歌って踊っているだけなのでしょうか?疑問は尽きませんでしたが、色々と悩んだところで仕方がないので、私も一緒になって歌と踊りを楽しみました。

それにしても、彼らと宴会をしていて大変驚いたのは、アラブ人は、酒を飲まなくてもハイになることができるということです。イスラム教国で酒を飲まない人が多いのは周知の事実ですが、この宴会の参加者も、皆、紅茶しか飲んでいませんでした。どうして、紅茶だけで、大声で絶叫したり、野獣のように踊りまくったりできるのでしょうか?日本人には真似することができないなあ、と思いました。

宴会の後、テントの中で寝ることになったのですが、昼はあんなに暑かったというのに、凍えるほどの寒さになっているではありませんか!結局、毛布を何枚も重ね、完全な防寒体制を整えてから眠ることにしました。

翌日は、午前5時に起床し、ラクダに乗って、日の出を見に出掛けることになりました。テントを出発した頃は大変な寒さだったのですが、日が出てくると、あっと言う間に暖かくなってくるではありませんか!本当にスゴイ気温差です。

ワディ・ラムからは、ペトラ行きのバスが出ているということでしたので、朝食後、車でバス停まで連れていってもらうことにしました。それにしても、我々が車でテントを去るという時になっても、昨日の宴会に参加していた連中の大部分は、まだぐっすりと眠っています。本物のベドウィンだと紹介された青年でさえも、まだ布団の中から出てきません。日の出と共に起床し、日の入りと共に就寝するというベドウィンのライフスタイルは、既に過去のものとなってしまったのでしょうか?

7)ペトラ

さて、ペトラ行きのバスが出るというバス停まで連れていってもらったのですが、そこは、単なる検問所のようなところでした。「こんなところにバスが来るのかなあ?」と、かなり疑問に思ったのですが、どういうわけか、絶妙のタイミングでバスがやって来ました。まるで、お互いに連絡を取り合っていたかのような接続の良さです。

我々は、さっそくそのバスに乗り込み、一路、ペトラに向かいました。ボケーっと車窓を眺めていると、バスの車掌(?)をしていた子供が、「いいホテル知ってるよ」といって勧誘してくるではありませんか。実は、ある程度ホテルの目星はつけていたのですが、そこが満室だったりすると面倒くさいとも考え、結局、その子供の勧めに従うことにしました。

そして、ペトラの入口にある村、ワディ・ムーサに到着しました。バスには、他にヨーロッパ人の旅行者が何人か乗っていたのですが、彼らも同じホテルに泊ることにしたようです。結局、そのバスは、そのままホテルの前で停まり、そこで全員が降りることになりました。まるでハメられてしまったかのようです。

ホテルにチェックインして、少し休んでいると、受付の青年が部屋にやってきました。そして、「あなたたちはスモール・ペトラに行くべきです」と、変な誘いをしてくるではありませんか。確かに、この郊外には、スモール・ペトラと呼ばれるシーク・アル・バリドという史跡があります。しかし、我々には、ペトラ以外の場所に行く時間的余裕は、もうありません。そのため、私は、「我々には1日しかないから、ペトラだけ見る。スモール・ペトラには行かない」と答えました。

しかし、この青年は、どうしても我々をスモール・ペトラに行かせようと、訳の分からない理由をつけては、かなり強引に誘ってくるのです。そして、こちらが頑なに拒んでいると、この青年、なんと、「今日は休日なので、どっちみち、ペトラは2時半で閉まってしまいますよ」と言い出すではありませんか。毎日午後6時まで開いているという情報を信じていたので、この話には驚きました。

結局、この青年のすすめるスモール・ペトラへの小旅行の話は完全に無視して、そのまま慌てて車でペトラの入口に向かったのでした。ところが、ペトラのチケット売り場で開場時間を確認すると、やはり、午後6時まで開いているとのこと。つまり、ホテルの受付の青年が、自分の企画する小旅行に我々を無理矢理にでも参加させようと、私に嘘をついたわけです。結局、実害はなかったわけですが、「観光業に従事しながら、観光客に嘘をつく人間は最低だ!」と、その場で私は怒りに震えました。

しかし、このまま怒っていたところで何にもならないので、この一件はホテルに戻ってから青年に問い質すことにして、ここは気分を入れ替え、我々はペトラ観光を楽しむことにしました。

そして、チケット売り場から少し下っていくと、シークと呼ばれる岩の裂け目の入口に到着しました。このシーク、ずっと奥の方まで続いています。両側の岩の高さは、数十メートルくらいあり、また、幅は、狭いところだと数mしかありません。

(写真12:ペトラ遺跡の入口にあるオベリスクの墓)

(写真13:突然視界に飛び込んで来る、エル・ハズネー)
このシークの中を30分ほど歩いていくと、突然視界が開けました。そして、“エル・ハズネー(宝物殿)”の威容が目に飛び込んできたのです。なるほど、確かにこのシーンは感動モノです。このエル・ハズネー、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台として使われ、一躍有名になった場所ですが、2000年も前に岩を削って、こんなものを作っていた人々がいたとは、本当に驚くべきことだと思います。

エル・ハズネーからさらに先に進むと、さらに視界が開けていきます。そして、様々な遺跡を目にすることができるのですが、巨大な墓石群などを除くと、原形を止めていないものが多く、正直言って、私には、それほど興味深く感じられませんでした。
その後、ペトラ遺跡の中心部で少し休憩を取ってから、山の上にある“エド・ディル(神殿)”に向って歩き始めました。エド・ディルに向かう坂道の勾配は想像以上に急で、また、距離も結構あったため、かなり疲れましたが、エド・ディルの雄姿を見た時には、本当に感動しました。やっと辿り着いた場所であったためか、エル・ハズネーを見た時以上に、感動は大きかったです。

その後、同じルートを通って、ゆっくりと遺跡の入口まで歩いて戻りました。丁度ホテルの迎えの車が来ていたので、それに乗り、ホテルに帰ったのです。ホテルに到着したときには、外は、もう真っ暗になっていました。

(写真14:山頂にあるエド・ディル。メチャクチャ疲れました)

ホテルの部屋に戻った後、私は、「今日はペトラは2時半で閉まる」という嘘をついた受付の青年と話をしようと、一人で1階まで降りて行きました。青年を捜すと、どうやら、受付の奥の部屋にいるようです。私が、ずんずんとそこに向って進んでいくと、中年のヨルダン人男性が出てきて、「どうかされましたか?私はこのホテルのオーナーです」と流暢な英語で、私に話し掛けてきました。

「なるほど。この男がオーナーか。これは都合がいい」と思った私は、「あなたがオーナーですか。苦情があるので、是非聞いて欲しい」と言うと、オーナーは、「いったい何でしょうか?」と、随分と驚いたような表情をして私を部屋に通してくれました。

そこで、私は、オーナーと青年の前に座り、「なぜ、開場時間について間違った情報を教えたのか?」「ペトラ周辺で働いている人間が開場時間を間違えるはずがない!」と、こちらの疑問や不信感をすべて伝えました。すると、オーナーは青年を大声で叱り始めました。そして、「大変申し訳ありません。彼はあなたに嘘をついたのです。二度とこのようなことのないようにいたします。また、本日の夕食は、飲み物を無料にさせていただきます」と、大変丁重に私に謝罪し始めたのです。

「ほほう。アラブ人にしては、随分と礼儀正しい男じゃないか」とアラブ人を見直した私は、嬉々として部屋に戻りました。そして、しばらくして、3人で夕食を取るために、再び1階に降りて行ったのです。すると、オーナーがやってきて、再び丁重に謝り始めました。そして、「私は彼をクビにしました。もうこのホテルで働くこともないでしょう」と言ってきたのです。さすがに、これには驚きました。私としては、叱ってもらえばそれで十分だと思っていたので、クビにするのはやり過ぎではないか、と感じたからです。

こんな話を聞いてか、全然食欲が沸きません。結局、あまり食べることができませんでした。どうも気になったので、夕食後、オーナーに、「クビにするのはやり過ぎではないか?結局、実害はなかったわけだし、もう一度だけ彼にチャンスを与えてくれないか?」と、私は青年の職場復帰を嘆願しました。しかし、オーナーは、「わかりました。考えておきます」と返答しただけで、結局、明確な回答はくれませんでした。こんな感じでしたので、私は青年のことを気にしながら床に就いたのです。

翌朝、ホテルをチェック・アウトするために、荷物をまとめてホテルの1階に降りて行くと、例の青年が私の方に向かって歩いてくるではありませんか。そして、「昨日は本当に申し訳ありませんでした。もう、ああいったことは二度としません。私を信じて下さい」と言いながら、握手を求めてきました。私が熱心に願い出たのがオーナーに聞き入れられたのか、彼は許されたようです。私は、「君が素晴らしいホテルマンになることを期待している」と答えて、彼と握手を交わしました。

そして、ペトラを後にした我々は、ヨルダンを出国するためにアンマン空港に向かったのでした。このような感じで、旅の終わりまで色々なことがあり、本当に波乱に満ちた旅行でした。


(おわり)


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