1998年10月末から11月初旬にかけて、4年ぶり2度目の韓国旅行に行って参りました。以下は、その旅行記です。
夜の9時ごろ、ソウルの金浦(キンポ)空港に到着した。いつの間にか地下鉄ができていたので、その地下鉄に乗り、都心に向かった。地下鉄の向かい側の席には、酔ってだらしなく眠っているスーツ姿のオヤジがいる。何だ、東京と同じじゃないか!刺激のない旅になるであろうことは、この時点で、既に明らかになってしまった。
翌日、早速観光を開始する。南山公園の丘を上っていくと、見知らぬおじさんの銅像がある。何でも、抗日運動の指導者だった「金九」という人物の銅像らしいが、よく分からないので、そのまま、安重根(アン・ジュングン)の記念館に足を運んだ。歴史に詳しい人には説明するまでもないが、安重根とは、伊藤博文をハルピンで暗殺した人物である。早い話、テロリストなわけだが、韓国では「義士」と呼ばれ、国家的な英雄となっている。数日前に、伊藤博文暗殺の89周年記念式が行われたらしく、内部には「義挙第89周年紀念式」と書かれた垂れ幕があり、金大中大統領の献花も供えられていた。「89周年」と書かれているが、この数字に何か特別な意味があるのか、それとも、式典が毎年行われているだけなのかは、定かではない。
その後、ロープウエイで南山を上って、ソウルタワーに向かった。霧が出ていたため、下界の様子は良く見えない。仕方が無いので、さっさと下に降りて、ソウル最大の繁華街である明洞(ミョンドン)で食事を取り、今度は、日帝時代に使われていた政治犯用牢獄がある独立門に向かった。「三・一抗日運動」の銅像を横目に見ながら、牢獄の方に向かったのだが、残念ながら展示館は工事中で、中を見ることはできなかった。
それから、景福宮(キョンボックン)に向かう。4年前に来た時には、景福宮を塞ぐように、旧朝鮮総督府の建物がデンと建っていたのだが、それは既に撤去されてなくなっていた。その代わりと言っては何だが、隣りの国立中央博物館に、「破壊された景福宮」というキャプションの下に、旧朝鮮総督府の模型が展示されていた。何ともイヤミなキャプションだ。
夕方になって、セマウル号で慶州(キョンジュ)に行くために、ソウル駅に向かった。ソウル駅は、東京駅を模して作られただけあって、確かに東京駅そっくりだ。これも日帝時代の建物のはずなのだが、これを取り壊す予定はないのであろうか?
セマウル号に乗り込むと、軽快に列車が動き出した。ソウルの夜景を見るために、ふと、窓の外に目をやると、そこには驚くべき光景が広がっていた。昼間は気が付かなかったのだが、何と、街は赤くライトアップされた十字架でいっぱいだ。韓国のキリスト教徒は、総人口の2割程度しかいないはずだが、この夜景を見ていると、まるで韓国にはキリスト教以外の宗教が存在していないかのようである。
慶州には、仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)という2つの世界遺産がある。丁度この時期、博覧会(EXPO)も開かれていたのだが、1日しか観光にあてる余裕がなかったので、今回は、この2つの史跡を見て周ることにした。
まずはバスで、仏国寺に向かう。バスには路線番号が書かれているものの、文字は全てハングルだ。一応、私はハングルが読めるので、何とか行き先を理解することができたが、ハングルが読めない人は、バスや列車での移動では、苦労するかもしれない。
仏国寺に到着すると、突然、若い女性が日本語で声を掛けてきた。「日本語の勉強をしているので無料でガイドさせて欲しい」とか言っている。旅慣れた私はすぐに分かったが、要するに、無料でガイドした後に客を土産屋に連れて行き、そこで買い物をさせてマージンをもらうという商売だ。後で面倒になるのは嫌だったので、そのまま丁重に断り、寺の門をくぐった。
寺の敷地内を色々と見回してみたが、日本の寺と、様子は大して変わらない。余り面白くなかったので、今度は、バスで更に石窟庵に向かった。しかしながら、これも、洞窟の中に石で作られた仏が設置されているという程度のもので、日本人の私の眼からすると、やはり、余り面白くなかった。もちろん、韓国の寺が「日本の寺に似ている」のではなく、本当は、日本の寺が「韓国の寺に似ている」わけなのだが…。
こうして2つの世界遺産を見た後、バスで市街地に戻った。まだ時間が合ったので、最後、古墳公園という公園を訪れたのだが、これもまた、丸い丘がボコボコしているだけで、余り面白くなかった。そんなわけで、夕刻、バスで釜山(プサン)に向かったのである。
「地球の歩き方」を見ても、釜山には、それほど観光として見るべきところがなさそうだったので、釜山に着いた翌朝は、結構遅くまで寝ていた。目を覚まして、観光を開始する。
まず、目に入ってきたのは釜山タワーだったので、早速、そこに向かう。大変急な勾配を登って竜頭山公園の中に入ると、もう釜山タワーに到着だ。釜山タワーの手前にも、大きな銅像がある。これは、李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像らしい。歴史に詳しい人には説明するまでもないが、李舜臣とは、豊臣秀吉の朝鮮侵略軍と戦った朝鮮水軍の指揮官である。それにしても、ソウルにしてもそうだが、韓国で見かける銅像は、どうして、抗日や反日に関連する人物のものばかりなのだろうか?こんなんで、真の日韓友好は有りうるのだろうか?
釜山タワーに上った後は、食事を取るために、釜山最大の繁華街である南浦洞(ナンポドン)に向かった。日本料理店で天ぷら定食を食べたのだが、どういう訳か、漬物の代わりにキムチが置いてある。日本料理にまでキムチが付いてくるとは、韓国人は、本当に、根っからのキムチ好きのようだ。
その後、西面(ソミョン)周辺をうろついた後、ソウルに帰るために、釜山駅に戻った。まだ時間があったので、釜山駅のロッテリアに入ると、バーガーのメニュー表の中に、日本円で70円くらい(700韓国ウォン)の激安バーガーがあった。その名を「IMFバーガー」と言うらしい。同じように、その近くの喫茶店では、「IMFコーヒー」とかいう激安コーヒーが売られていたし、いくら韓国経済がIMF(国際通貨基金)の管理下にあるとは言え、この名称、チョットふざけ過ぎではないだろうか?危機感がまるで足りない。
釜山から帰ってきた次の日は、中央高速観光の板門店(パンムンジョム)ツアーに参加することになっていたので、集合場所の新羅(シルラ)ホテルに向かった。ところが、警備上の理由で、突然ツアーが中止になってしまったのだ!何でも、8月に政府の許可なく北朝鮮に渡って北側の行事に参加していた大学生が、この日、板門店経由で韓国側に戻ってくるらしい。前日の午前中に電話確認しておいたのに、何ということだ!今回の訪韓最大の目的が板門店観光だっただけに、私は体中の力が抜けてしまった。
しかし、途方に暮れていても仕方がないので、予定を急きょ変更し、まずは、ソウルの新都心であるヨイドを訪れることにした。ここには、韓国で最も高い超高層ビルである「63ビル」があるのだ。しかしながら、この「63ビル」、ヨイドの外れに位置しているため、ヨイドの地下鉄駅から結構遠かった。それに、63階建てだと思っていたら、60階までしかない。63の残りの3は地下階らしいが、これをインチキな名称だと思っているのは、私だけではあるまい。
その後、残りの時間を潰せそうなところは、世界最大の屋内遊園地があるロッテワールドしかなさそうだったので、地下鉄を乗り換えて、ロッテワールドに向かった。屋内遊園地の中に入ると、早速、ロティとロリィが近づいてきた。どう見ても、ディズニーキャラクターのパクリのようにしか見えないが、なかなか可愛らしい。この屋内遊園地の中は、何層にもなっていて、一番下は、アイススケート場になっている。屋内だけあって狭さは否定できないが、スペースを有効に利用できるように、うまい具合にアトラクションが配置されているのには感心した。屋外部分にも、いくつかのアトラクションがあり、そこでも、韓国の若者たちが、キャーキャー喚きながら楽しそうに遊んでいた。うーん…。深刻な経済状態であることが、まるで嘘のようである。
いつのまにか、韓国の滞在も、最終日となってしまった。ソウルの街も見飽きたし、やはり、板門店に行けなかったのが心残りだったので、オドゥ山統一展望台とかいう、北朝鮮の村を見ることができるという展望台に向かうことにした。
ところが、行き方が全然わからなかったので、ソウル駅のインフォメーションのお姉ちゃんに聞いたところ、列車で金村(クムチョン)とかいう場所に行って、そこからバスに乗り換えなさいと言う。そのお姉ちゃんが行き先等をハングルで紙に書いてくれたので、それを手に持って、そのオドゥ山とやらに向かうことにした。
そして、ハングルの知識を総動員して、何とか間違えることなく、目指す展望台に着くことができた。展望台の中に入って、北側を眺めると、確かに、川を隔てて北朝鮮の村が見える。設置してある望遠鏡で覗いてみると、北朝鮮の村の住人が歩いている様子が確認できる。韓国側の説明によると、ここから見える北朝鮮の村は、北朝鮮の生活水準が高いと見せかけるための宣伝村らしい。しかし、はっきり言って、余り裕福そうには見えない。
更に望遠鏡で村を覗き続けていると、突然、北朝鮮側の大型スピーカーから讃美歌のような音楽が流れ出した。金正日を褒め称える歌であろうか?韓国側の説明によると、一日に何回か、このような宣伝放送が北側から流されるらしい。その後、展望台内部の売店をうろうろしていると、どういうわけか、北朝鮮の特産品が売られていた。これらは、一体どうやって入手されたものなのであろうか?不思議な限りである。
こうして、板門店には訪れることができなかったものの、とりあえず、北朝鮮側を肉眼で確認することができたので、「これでよしとするか」と勝手に納得しつつ、私は韓国を後にしたのである。
以上
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