| 2000年7月下旬は、生まれてはじめて、フィリピン共和国のマニラ首都圏(メトロ・マニラ)を訪れました。以下は、その旅行記です。 |
・ 7月下旬のマニラの気温は、28度程度。雨期に入っていたためか、東京よりも涼しかった。 ・ フィリピンの首都は「マニラ」だが、実際には「マニラ首都圏(メトロ・マニラ)」という大きな行政区分の中に、マニラ市、パサイ市、ケソン市などの小さな行政区分があることがわかった。 |
| ・ マニラの風物詩といえば、米軍のジープを改造して造ったという「ジプニー」だが、うるさい音楽と派手な装飾が、なかなか興味深い。値段も3ペソ(約7.5円)という破格の安さ。好きな場所で乗れ、好きな場所で降りることができ、本当に便利な乗り物である。いつも道路が渋滞しているので、乗り降りもそれほど困難ではない。 ・ 交通渋滞だらけで、ドライバーのマナーも最悪。無駄なのにもかかわらず、無理な車線変更をしようとしたり、クラクションを鳴らしまくっている車が大変多かった。何考えているんだか…。 |
![]() (写真1:マニラの名物でもあるジプニー。派手な装飾が目を引く) |
![]() (写真2:マニラのシンボル、リサール・モニュメント) |
・ マニラ市北部のキアポ地区には、「ISETANN」という「ニセ伊勢丹」とも言うべきデパートがあった(Nが1つ多い!)。つい、バンコクのサーヤム・スクエアにあった「ニセ丸井」(今はもうない)のことを思い出してしまった。 ・ いったい何を恐れているのか、ほとんどすべての商店・飲食店に警備員が配置されていた。デパートに至っては、入り口で持ち物検査をさせられ、更に各店舗の入り口でも持ち物検査をさせられるので、面倒なこと、この上なかった。 ・ マニラ市の中心部であるエルミタ・マラテ地区は、かつては、バンコクのパッポンのような大歓楽街だったらしいが、92年から93年にかけての大浄化作戦により、いかがわしい店は一掃され(郊外に移転したらしい)、夜は随分と寂しい感じだった。 ・ マニラ市民のオアシスでもある「リサール公園」は、大変のどかなところだが、地方からの旅行者のフリをしていると思われるフィリピン人の男が話し掛けてきたりして、けっこうウザッたかった。『歩き方』によると、大抵は睡眠薬強盗であるという(親しくなった後で飲食物を与えて眠らせ、身ぐるみ剥がすという手口だ)。 |
| ・ スペイン人が築いたという、城壁で囲まれた「イントラムロス」地区の中には、教会や博物館が点在していたが、ここでもまた、旅行者のフリをしたフィリピン人の女が話し掛けてきたりして、けっこうウザッたかった(東洋人にタガログ語でモノを尋ねてくること自体、うさん臭い)。 ・ イントラムロスの北端にある「サンチャゴ要塞」は、多くの観光客で賑わっていた。これといって変わった見所があるわけでもないのに、写真を撮っている人が沢山いたのは、けっこう不思議だった。 |
![]() (写真3:イントラムロスの先端部にあるサンチャゴ要塞) |
![]() (写真4:超高層ビルの立ち並ぶマカティ地区) |
・ マニラ首都圏の南北を走るLRT(高架鉄道)に乗ると、街の風景が楽しめるのだが、スラム街(トンド地区)も見えるし、近代的な超高層ビル街(マカティ地区)も見える。随分と貧富の差の激しい国だという印象を持った。 ・ 超高層ビルの立ち並ぶマカティ地区は、実際に来てみるとわかるが、まるで東京のようにキレイなところである。しかしながら、やはりというか、ほとんどすべての商店・飲食店には警備員が配置されていた(治安が悪い感じは全然しないんだけど…)。 |
| ・ マニラ市のキアポ地区にある「マラカニアン宮殿」は、入場料が200ペソ(約500円)だった。1000ペソ札しか持ってなかったので、それで払おうとすると、「お釣りがないから、金崩して来い」と言う。そこで隣りにあった土産屋で両替してもらおうとしたら、「何か買え」という。仕方がないのでキーホルダーを買おうとすると、「おー、安いねー!(日本語)」とのことで、結局、Tシャツを買うハメになってしまった。 ・ 宮殿には、フィリピンの歴代の大統領の功績などが展示されていた。悪名高いイメルダ夫人の靴やドレスのコレクションは、もう公開されていなかったが、彼女や夫のマルコス元大統領が使用していた部屋は展示室の一部として公開されていたので、何となく当時を偲ぶことはできた。 以上 |
![]() (写真5:マラカニアン宮殿の門。内部の撮影は不可) |
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