LAを出発してNYを経由し、翌日のお昼前にアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに到着しました。ブエノス・アイレス空港からはタクシーで市内に向かいました。ブエノス・アイレス周辺は広大な大平原となっていて、タクシーの車窓から外を眺めても、山や丘などの起伏はほとんど見られません。市街地はかなり広く、高速道路を使ったのにも関わらず、中心部に達するまで結構時間が掛かりました。中心部の街並みは、まさにヨーロッパそのもので、さすが「南米のパリ」と呼ばれるだけのことはあると思いました。(人口構成もイタリア系、スペイン系を中心とした白人ばかり。) |
| ホテルにチェックイン後、早速市内観光を開始することにしました。まず、レティーロ地区に向かい、サン・マルティン将軍の像や英国塔(イギリス移民が建てた時計塔)、レティーロ駅などを訪れました。その後は、サン・ニコラス地区を散策しました。街を南北に横切る巨大な7月9日大通り(世界一幅が広いらしい)の中心にそびえる白いオベリスコはブエノス・アイレスのシンボルとなっているようです。 モンセラート地区まで歩いてきたので、そのまま大統領府(カサ・ロサーダ)に向かったのですが、周辺はデモ隊に包囲されていました。どうやら2001年12月の経済破綻(デフォルト)以降、かなり経済が悪化しているらしく、失業者や労働組合がデモを行なっていたようです。少し怖かったので、そのまま退散しました。 |
(写真1:7月9日通りにそびえる白いオベリスコ) |
(写真2:”セニョール・タンゴ”にて) |
ホテルでタンゴショーの申し込みをしていたので、夜は、"セニョール・タンゴ"にタンゴを見に行きました。セニョール・タンゴは、1400席の規模と雰囲気の良さで非常に人気が高いとのこと。私は一人での参加だったのですが、テーブルは12人掛けとなっており他の観光客とも色々と話ができたのは良かったです。北米からの観光客はあまりおらず、欧州、他の中南米諸国、南アフリカからの観光客が多いような印象を持ちました。 ショーの前に夕食が出たのですが、巨大なステーキが出てきて皆驚いていました。さすがに人口以上の肉牛がいるだけのことはあります。 |
タンゴはご存知の通り官能的な振り付けが多いのですが、それほどいやらしくはなく、また空中を飛んだりと、何やらサーカスのような余興もありました。それにしても夜が長かったです。8時半から夕食で、ショーが10時開始で12時終了の予定だったのが、ラテン時間で30分遅れて、ホテルに戻ってきた時には、もう午前1時くらいになっていました。 |
| 翌日は、タクシーでボカ地区に向かいました。タクシーで走っていると、またデモ隊を見掛けました。失業率が2割に達していて、暇をしている人が多いそうですから仕方がないのかもしれません。結構走ってボカ地区のカミニートに到着しました。 カミニートは道に並ぶ家々の壁、テラス、屋根などが原色で塗り分けられた一角で、絵画も沢山売られていて、屋外美術館のような様相を呈していました。しかし意外に面積は狭く、あっと言う間に通り過ぎてしまう感じです。近くにはサッカー・スタジアムもあるのですが、周囲の治安はあまり良くないようです。 |
(写真3:カラフルなカミニート) |
(写真4:ブエノス・アイレスの地下鉄。1913年開通) |
その後タクシーに乗って、レトロな雰囲気のサン・テルモ地区を経由し、モンセラート地区に向かいました。大統領府前の5月広場に行ってみると、昨日のデモ隊は影も形もなくなっていました。ただ、建物の周囲にはバリケードが張られていて、等間隔に警察官が立っていましたから、一応警戒しているのでしょう。 大統領府周辺を散策した後は、地下鉄に乗って国会議事堂に向かいました。ブエノス・アイレスの地下鉄は南米最古のもので、1913年に開通したそうです。東京の地下鉄・丸の内線の古い車両も走っているとのことですが、それは確認することができませんでした。 |
| 地下鉄の駅から地上に出ると、国会議事堂が臨めました。中央に青銅のドームがそびえる大変威厳のある建物でしたが、どういうわけか前にある池の中では沢山の子供が水遊びをしていました。 それにしても、夜になっても人通りがあまり減りません。お店も遅くまで開いているし、本当に夜が長いと思いました。朝も遅くないのが不思議なところですが、これはシエスタ(昼寝を含む長い昼休憩)の習慣があるせいでしょうか? |
(写真5:ブエノス・アイレスの国会議事堂) |
(写真6:豪華な納骨堂が立ち並ぶレコレータ墓地) |
翌朝は、レコレータ地区にあるレコレータ墓地を訪れました。豪華な納骨堂が立ち並んでいて、とても墓地とは思えないほどです。20世紀中旬の独裁者・ペロン大統領の夫人であるエバ・ペロンの墓もここにありました。ペロン時代はアルゼンチンの経済状態は良かったらしく("世界の食糧庫"とまで呼ばれていた)、この夫婦を崇拝する人が依然としているようです。特にエバは33歳で急死したこともあってか特に人気が高く、いまだに墓前には花が供えられていました。 |
→2.イグアスの滝(アルゼンチン、ブラジル)
[↓ 旅行記目次]
| この旅行記に対するご意見・ご感想はこちらまで。 |