4.サン・パウロ(ブラジル)



早朝リオを出発し、サン・パウロに到着。早速タクシーで予約してあった"日系パレスホテル"に向かいました。日系パレスホテルは、南米最大の東洋人街"リベルダージ"の中にあり、通りには"ちょうちん"の形をした街灯が鈴なりに並んでいました。このホテルは日系のホテルの中では一番レベルが高いはずなのですが、設備は思ったほど良くなかったです。

チェックイン後、ホテルの外に出てみました。日系の店が沢山並んでいたので少し嬉しくなりましたが、中国系の店やホテルも結構目に付きました。、

しばらく歩いていると、東洋人街のシンボルとなっている赤い大鳥居が目に飛び込んできました。日本から見た地球の裏側にこのようなものが存在しているとは、大変不思議な気分にさせられました。この大鳥居は"大阪橋"という橋の前に掛かっており、橋の名前はサン・パウロと大阪が姉妹都市となった記念に付けられたものだそうです。大阪橋の下は道路になっていて、沢山の車が走り抜けていました。

(写真19:大阪橋の前にそびえる赤い大鳥居)

橋を越え、近くにあった日系のお土産屋さんに入り、そこで買い物をしました。買ったものを包装してもらっていながら、店のご主人に「日系の店が多いですね」と話し掛けると、「この街は30年くらい前までは日本人しかいなかったのに、ここ10年くらいの間に中国人だらけになってしまった。今はリベルダージの店の半分くらいは中国人の経営で、日本の看板を出していても実際にやっているのは中国人というケースが多い」と、私にとっては驚くべきことを話していました。

更に話を聞いてみると、「顔が似ているということで、中国人は日本人がブラジル社会で培った信頼にタダ乗りしている」、「ブラジルはいい加減な社会なので中国人に向いている」、「都市圏の人口1000万人を超える大都市で中華街が存在しないのはサン・パウロだけ」、「連中はリベルダージを乗っ取ろうとしている」、「近いうちに、赤い大鳥居も取り外されて中華門になる」などなど、中国系移民に対する嫌悪感を露わにしていました。

「そこまで悪く言う必要があるかなあ?」とも思いましたが、街を乗っ取られそうだという危機感は想像に難くありません。ブラジルの日系人は130万人とも言われていますが、北米と同様、中国系移民が急増する中、ブラジルの日系人社会も変わりつつあるようです。


(写真20:リベルダージ駅前のマクドナルド)
お土産屋を後にして、地下鉄リベルダージ駅に向かって歩いていくと、駅前にカタカナで「マクドナルド」と書かれたマクドナルドを発見しました。しかしながら、店員はブラジル人だったため、全然日本語は通じませんでした。

それから地下鉄に乗って、サン・パウロの街を散策することにしました。リベルダージ駅周辺も既にそうだったのですが、この街では、白人、黒人、東洋人、混血人種が混ざりまくっていて、何が何だか分からない状態になっています。これぞ本当の「人種の坩堝(るつぼ)」だと思いました。

私の住む米国は「多民族国家」とは言うものの、実質的には、それぞれの民族が住み分けをしている「モザイク国家」に過ぎません。(カリフォルニアの大型モールに行けば分かるように、歩いているカップル、家族、友人同士は、同じ人種の組み合わせばかりです。)そのため私は異なる人種は絶対に融合できないものだと思っていましたから、米国とは全く異なるブラジルの多民族社会に非常に大きな衝撃を受けました。

サン・パウロ中心部では、セー広場、カテドラル・メトロポリターナ、サン・ベント聖堂、ヘプブリカ広場などを訪れました。街の中には新旧の様々な建物が混在していました。

治安が悪いという評判のサン・パウロですが、普通に昼間に人通りの多い場所を歩いている限りにおいては何も問題ないと思いました。警察も色々なところに出動していて、献血車のような"移動交番"を多く見掛けました。

(写真21:献血車のような”移動交番”)

(写真22:シュラスカリアにて)
夜になったので、ゆっくりシュラスコを食べようと思い、タクシーでシュラスカリア(シュラスコ専門店)に向かいました。オーナーが日系人のお店だったのですが、オーナーはおらず、代わりに従業員の人たちが対応してくれました。英語もスペイン語も全然通じませんでしたが、片言のポルトガル語で何とか乗り切りました。

好きなだけ飲み食いしましたが、それでも日本円で500円くらいしかしませんでした。ブラジルも1999年に変動相場制となって以降、アルゼンチン同様、外国人にとっては物価の安い国となっています。

翌日は、映画館や官庁の建ち並ぶパウリスタ大通りに行ってみました。この通りは大変お洒落な感じで、下を通っている地下鉄も清潔でモダンな感じです。このエリアだけ見ている限りにおいては、先進国と何ら変わらないと思いました。
その後は、リベルダージに戻り、前日(月曜日)に閉まっていたブラジル日本移民資料館を訪れました。建物は日系パレスホテルから少し歩いた日伯文化協会の7〜9階部分にあり、1908年に笠戸丸でやって来た日系移民がブラジル入りして以降の歴史について詳しく展示されていました。地球の裏側で苦労をされた日系移民の努力の歴史がひしひしと伝わってきて大変参考になります。

なお、リベルダージには各県の県人会の建物も多く残っていますので、中国系が急増しているとはいうものの、やはり日系人の心の拠り所としては機能し続けるのではないかと思っています。

(写真23:日伯文化協会。”謹賀新年”の垂れ幕があった)

空港に向かう時間となったので、ホテルでタクシーを呼びました。日系のホテルでタクシーを呼んだので当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、やってきたのは日系人の運転手でした。郊外の国際空港まで意外に時間が掛かったので、日本語でずっと色々な話をしていたのですが、運転手の「この国では僕たちの顔は人気があるからね」という一言が、随分と強く印象に残りました。日系移民の100年間に渡る努力の結果として日系人がブラジル社会でいかに信頼されているのかを、端的に表現している言葉だと思ったからです。

そして、サン・パウロからダラス、LAを経由して、正月を過ごすべく日本に戻ったのでした。サン・パウロを出て成田に到着したのは、ちょうど30時間後でした。地球を半周してみて、つくづく南米が遠いことを実感させられました。

(おわり)


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