明朝、イースター島(イスラ・デ・パスクア)行きの飛行機に乗るために空港に向かいました。国内線と国際線は同じ空港から出ていて、ターミナルだけが異なっています。フライトの都合上、“モアイ像”しかないとされる田舎の島に4泊もしなければならないため、出発前から途中で退屈してしまわないか大変心配していたのですが、現地では意外に楽しく過ごすことができました。 イースター島は南太平洋の孤島で、ちょうどチリ本土とフランス領のタヒチの中間にあります。つまり、チリ領とは言いながらも、完全にポリネシア文化圏の島で、チリの本土から3800キロメートルも離れているのです。ですから、サンティアゴから5時間40分も掛かります。米国の西海岸から東海岸に行くのと何ら変わりません。 |
| イースター島行きの飛行機は、ボーイング767型機で、意外に立派な機体だったので驚きました。まあ、600米ドル以上も支払っているので、この程度の機体を用意してもらわなければ困りますが・・・。この路線はチリの国内線であるという位置付けからランチリ航空しか飛んでおらず、そのため格安でチケットを入手することは極めて困難となっています。皆さんも覚悟しておいてください。 当日の午後、イースター島に到着。国際空港とは言うものの、ターミナルは非常に小さかったです。私はチリ側から来たので良く分からなかったのですが、タヒチ側から来ると入国審査を受けなければならず、何と、それが単なる小屋なのだそうです。雨の降りしきる中、外に長時間立たされて大変だったという日本人旅行者にも会いました。 |
(写真6:イースター島の空港の建物) |
(写真7:ホテル・ハンガロアの入口付近) |
送迎バスに乗り、予約していた“ホテル・ハンガロア”に到着しました。島内に数箇所しかない「高級ホテル」の一つなのですが、大変簡素な造りで、窓の鍵は閉まらない上に、隣の部屋の会話が筒抜けだったのには驚きました。また、このホテルにはチリの日系旅行会社「アンデス・ニッポン・ツーリスト」の日本人駐在員が2人駐在していて、日本語ガイドのほか、日本人観光客の世話をしていました。 隣のタハ・タイ・ホテルにも常駐している日本人の方がいるとのことです。それだけ多くの日本人がこの島を訪れているということでしょう。 |
この日は特に予定はなかったので、イースター島唯一の居住地区であるハンガロア村を散策しました。しかしながら、ちょうどシエスタ(昼寝)の時間帯だったこともあり、ただでさえ寂しい村がゴーストタウンならぬゴーストヴィレッジのようになっていました。仕方がないので、そのまま村の北側にある博物館に向かい、そこの展示を見ていました。日本語の案内冊子も置いてあり、それを見ながら展示を見ることができるようになっていたのは有り難かったです。(冊子は後で受付に返却しなければなりませんが・・・)博物館内には、“女性のモアイ”や“モアイの目”(完成体のモアイには白目の中に黒目がある“石でできた目”が入れられていました)などが展示されていて、なかなか興味深かったです。 翌日は、全日ツアーに参加しました。私が参加した団体は、スペイン語・英語のバイリンガル・ガイドだったのですが、英語を必要としていたのは私のみ。私はスペイン語を話せるとは言っても説明をすべて理解できるレベルではありませんから、私だけ別個に英語で説明してもらいました。最初は不便だと思ったのですが、個別に色々な質問をすることができたので、結果的には良かったと思います。 有名なモアイ像ですが、18世紀頃に起こった政変(部族同士の争い)の影響で、途中で建設が中止され、その際に立っていたモアイもすべて倒されたため、島に残っているモアイの多くは顔を下にして倒れているものばかりです。修復されて立っているモアイは、わずか40体程度に過ぎません。ほとんどのモアイは海岸線に陸地の方向を向くように立たされていたため、海岸線を走りながらモアイ見物ができるようになっています。 |
| この日のツアーでは、バスで島の南海岸を走って、まず倒されたモアイを見て回った後、15体のモアイが立つアフ・トンガリキに向かいました。アフ・トンガリキの15体のモアイは、日本の四国のクレーン会社であるタダノが修復したものです。写真を見ただけでは大きさが良く分からないのですが、モアイ群が載るアフ(台座)の幅は100メートルもあり、実際に近くに行ってみると意外に大きくて驚かされます。 | (写真8:アフ・トンガリキに立つ15体のモアイ) |
(写真9:ラノ・ララクにて切り出し中だったモアイ) |
この日の訪問で最も感動させられたのは、その後に訪れたラノ・ララクです。ラノ・ララクは大きな岩山で、いってみれば“モアイ工場”にあたるものです。すべてのモアイ像は、この岩山から切り出されたものなのです。島で起こった政変の影響で、途中でモアイ建設が中止となったため、製作途中のモアイを沢山目にすることができました。背中を切り出す直前のものや、顔など一部分ができているだけのものがあるのです。 |
| さらに、ラノ・ララクから少し下ったところには運搬途中で廃棄されたモアイが沢山ありました。ラノ・ララク周辺だけで400体のモアイがあるそうです。この付近は地面に突き刺さっているものが多く、イースター島のモアイの写真で我々が良く目にしているのは、この辺りのモアイです。 完成体のモアイは、海岸線のアフ(台座)の上に立たされ、目が入れられ(目に相当する石を挿入するために目の部分がくりぬかれた)、“プカオ”と呼ばれる髪型とも帽子とも言われる巨大な石が頭に載せられていました。ですから、この辺りにある目の部分がフラットなまま地面に突き刺さっているモアイは廃棄された未完成品なわけです。 |
(写真10:運搬中に廃棄された巨大モアイ) |
しかしながら、最も末期に作られたモアイだけあって、そのサイズは島の中では最大級です。モアイ像は、作られ始めた頃(西暦800年頃と言われている)は、1〜2メートル程度の大きさしかなかったのですが、それがどんどん大きくなり、末期には20メートルを超えていました。このようなモアイの“バブル化”が島の経済を悪化させ、それが政変に繋がったという説もあるようです。 モアイ見物後は、ラノ・ララクの頂上まで山登りをしました。この島は風の強い日が多く(この日も風が強かった)、また、単なる岩山ということもあり足元は不安定で、風に吹き飛ばされそうにもなりましたが、何とか頂上に到着しました。そこからの景色は大変素晴らしかったです。その後、岩山を下ってピクニックエリアで昼食となりました。観光客の多くはチリをはじめ中南米諸国の金持ちが多かったです。庶民レベルの人もいましたが、新婚旅行など、かなり気合を入れて来ているようでした。 |
(写真11:アナケナ海岸のプカオを載せた5体のモアイ) |
その後は、アナケナ海岸に立つ5体のモアイを見学しました。アナケナ海岸のモアイは、頭の上に 前述した“プカオ”を被っています。砂浜にあった影響でモアイ倒しの後も風化を免れたため、比較的きれいな形で残っています。博物館に展示されている“モアイの目”はここで発見されたものだそうです。 |
なお、モアイの運搬方法、それに頭にプカオを載せたタイミングなどについては未だに分かっていません。これはヨーロッパ人の渡来によって島の文明が破壊されたためです。まず、キリスト教の布教のために、この島にあった独自の象形文字ロンゴ・ロンゴの文字板が破壊されました。その後、ペルーから来たスペイン人の奴隷商人が、王族や知識人を含む島民の多くを奴隷として売買するために連れ去ってしまったため、この島の文明は崩壊し、過去の歴史は考古学的な検証以外には分からなくなってしまったのです。大変残念なことですが、上記の理由からモアイの謎は永遠に解明できないものと思われます。 |
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