ウルグアイ


アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着しました。ブエノスアイレスは、スペイン語で「いい空気」という意味ですが、大都市の宿命か、ここも相変わらず大気汚染が酷かったです。ブエノスアイレスも以前観光したことがあるので、今回は東京の地下鉄丸の内線の古い車体を使っている地下鉄B線に乗ったくらいで、特に観光のようなものはしませんでした。
(写真28:ブエノスアイレスの7月9日通り)

(写真29:ブエノスアイレスの地下鉄B線。丸の内線の車両)
現地で1泊した後、翌朝、ウルグアイ行きのフェリーが出ている船着場に向かいました。ここからはウルグアイの古都コロニア・デル・サクラメントと、首都のモンテビデオ行きのフェリーが出ており、私はまずコロニアで観光してからバスでモンテビデオに向かおうと思ったので、コロニア行きの高速フェリーのチケットを買いました。

フェリーに乗る前にアルゼンチンの出国審査とウルグアイの入国審査があり、審査場は大変混雑していました。あまりにも混んでいたため、30分遅れでようやくフェリーが出港しました。(南米ですので、毎回遅れているのかもしれませんが・・・。)フェリー自体は大変快適で、中には免税店もありました。
コロニアはブエノスアイレスから見てラプラタ川の対岸に位置しているだけですので、要は単に船でラプラタ川を横切るだけなのですが、川幅が広すぎてブエノスアイレスからはウルグアイ側が全然見えませんでした。しかしながら、予定通り1時間ほどでコロニアに到着。街の規模も小さいことから、徒歩で軽く観光することにしました。

コロニアはポルトガル人が最初に入植した街で、その街並みが世界遺産に指定されています。単なる見世物だと思うのですが、路上にはクラシックカーが沢山停めてありました。静かな美しい街で、灯台に上ってラプラタ川方向を眺めると、遠方にブエノスアイレスの高層ビル群を望むことができました。

(写真30:コロニア・デル・サクラメントの街並み)

ウルグアイは旧スペイン領のアルゼンチンと旧ポルトガル領のブラジルの中間に位置していることもあり、スペインとポルトガルが取り合いをした国です。現地にはチャルア族という先住民がおり、彼らが激しく抵抗したこともあって入植はなかなか進まなかったのですが、結局、彼ら先住民は徹底的に虐殺され、最終的にはスペイン語圏の一国となります。パラグアイと同じようにウルグアイという国名も先住民の言葉(「鳥の住む川」という説と、「曲がりくねった川」という説があるらしい)なのですが、グアラニー主体のパラグアイとは異なり、ウルグアイは完全な白人国家となっています。

コロニア観光後はバスに乗り、首都のモンテビデオに向かいました。この国は国土の8割が牧場と言われているだけあって、モンテビデオに到着するまでの間、ずっと牧場が広がっていました。


(写真31:馬車を利用したモンテビデオのゴミ収集車)
モンテビデオに到着したのは暗くなってからだったのですが、ホテルにチェックイン後、夕食を取ろうと思って外に出ると、何と暗闇の中を馬が歩いているではありませんか!最初ビックリしたのですが、よく見ると、ゴミの収集車でした。馬車の荷台にゴミ袋を積むようになっていたのです。

中心部の町並みは植民地時代の面影を残すヨーロッパ風で、馬や大変古い型の車が普通に走っていることから、随分とレトロな雰囲気がしました。(ちなみに、ウルグアイよりも貧しいはずのパラグアイの方がいい車が多いのは、パラグアイを走っている車の8割がブラジルやアルゼンチンからの盗難車であるかららしいです。)
翌日は、南米随一のリゾート地であるプンタ・デル・エステを訪れました。ここは南米随一のリゾート地で、南米各国、特にブラジルとアルゼンチンの金持ちが別荘を構えていることで有名な街です。あいにく天候が曇りで肌寒かったのですが、港にはヨットが沢山停泊していました。真夏は大勢の観光客で賑わうようです。
(写真32:南米随一のリゾート地、プンタ・デル・エステ)

(写真33:ラプラタ川と大西洋の境界に立ついなぽん)
なお、プンタ・デル・エステの岬の南端がラプラタ川と大西洋の境界となっているらしいのですが、既に川の対岸は全く見えなくなっているため、ここまでスケールが大きくなると、その違いが何だか良く分かりませんでした。いったいどういった基準で海と川の境界を決めているのでしょうか?
旅行の最終日は、首都のモンテビデオの観光をしました。街のシンボルとなっているサルボ宮、旧市街、それに国会議事堂以外は特に見所はないので、すぐに見て回れてしまうのですが、昼時に市場のレストランで食べたパリジャーダ(内臓の塩焼きの盛り合わせ)は大変美味しかったです。さすがガウチョの国だけのことはあります。
(写真34:モンテビデオのシンボル、サルボ宮)

そして夕方、モンテビデオの空港からチリ・サンティアゴ行きの飛行機に乗り、サンティアゴで乗り換え後、翌朝無事にロサンゼルスに戻ったのです。ロサンゼルス到着時に気が付いたのですが、米国は夏時間が終わって冬時間になっていました。さらに、モールやファストフード店の周辺で仮装している若者を見掛けて気が付いたのですが、いつの間にかハロウィーン当日になっていたのです!こんなわけで、わずか16日間の旅行だったのですが、米国に戻ってきて早々、”浦島太郎”になったかのような錯覚に陥ってしまいました。


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