| ロサンゼルス国際空港からコロンビアのアビアンカ航空を使って、コロンビアの首都ボゴタで乗り換え、ベネズエラの首都カラカスに入りました。ベネズエラでは、ベネズエラの現地通貨ボリーバルから米ドルへの再両替ができないため、慎重に計算してから両替を行ないました。カラカス市街は、カリブ海岸に位置する空港から約30km離れた標高960mの高地にあるため、タクシーで急斜面を上りながら市内に向かいました。途中で崖崩れがあったらしく、迂回路を通らねばならなかったため、結構時間が掛かりました。 カラカスは、高層ビル群が立ち並ぶ大都会でした。人口は400万人を越えているとのこと。1914年にロイヤル・ダッチ・シェル社が油田を発見して以来、世界有数の産油国として急成長した国です。(ちなみに、現在は世界第5位の産油国で、現地では石油はタダ同然。)しかしながら、石油権益がうまく国民に分配されていないようで、カラカス周辺の山にはランチョと呼ばれる貧民屈が連なっていました。そんなわけで、この街は、あまり治安が良くないため、比較的安全と言われるアルタミラ地区にホテルを取ったのです。 |
| カラカスの日系旅行会社サンケイ・トラベルに、ギアナ高地への旅行をアレンジしてもらっていたため(米国から既に予約していた)、宿泊しているホテルまでクーポンなどを持ってきてもらいました。社長の千葉さん(ベネズエラ在住30年)が直々にやってきました。 ご親切にもご自宅に招かれたので、そのまま千葉さんの自宅マンションに向かい、そこで夕食などをご馳走になってしまいました。現地在住の日本人のご友人の方も数名ほど来られ、ベネズエラに関するお話を色々と伺うことができ、その後の旅行に大変役立ちました。本当に有難うございました。 |
(写真1:カラカス・アルタミラ駅前のオベリスク) |
(写真2:コロニア・トバールに向かう際に通過するランチョ) |
翌日は、カラカス郊外のドイツ村であるコロニア・トバールを訪れるべく、ガイドと運転手付きで現地に向かいました。私一人であるのにも関わらず、ガイドと運転手を付けるとは、これまた豪勢な旅行に見えるかもしれませんが、これも現地の治安を考えてのことです。カラカス市内から外に出る際に、山の斜面に連なるランチョ(貧民屈)を通過しなければならないため、その方がより安全だと思ったのです。 |
| 2時間ほど走ると、コロニア・トバールの入口に到着しました。カラカスよりも更に高所にあり標高は1800メートルで、年間平均気温は摂氏16度。私が訪れた際も大変肌寒く、辺りは霧が立ち込めていました。ここは、1843年にドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方から移住してきたドイツ人が建設した街です。 | (写真3:コロニア・トバール内のゲート) |
(写真4:コロニア・トバールのドイツ風の街並み) |
その街並みは、本当にドイツの田舎そのものです。交通が不便なこともあり、長い間閉鎖されたコミュニティだったようですが、最近はベネズエラ人との混住も進んだようで、商店の売り子などにはベネズエラ人が多かったですし、我々が入ったドイツ料理店はイタリア系が経営権を持っていました。食事後はビール工場などを訪れ、そのままカラカス市内に戻ったのです。 なお、今回付いたガイドは、もともとは石油ビジネスで働いていたようですが、チャベス政権(反米政権として世界的に有名)による石油ビジネスへの国家介入が強まる中、従業員の入れ替えなどが行なわれた結果、職を失い、現在は旅行ガイドをしていると説明してくれました。政情不安定な国ですから仕方がないのですが、少し可哀想な気がしました。 |
| 翌日は、カラカスの市内観光をすることにしました。まず、カラカス市内を一望できるアビラ山の頂上に上るべく、ケーブルカー乗り場に向かいました。ところが、機械が故障しているらしく、全然動いていません。修学旅行らしき子供たちも来ており、大勢の現地人や観光客でごった返していましたが、結局2時間も待たされる羽目となってしまいました。 仕方がないので、美女の写真でも撮ろうかと思い、乗り場の周辺を散策しました。南米人は大変気さくで、抵抗なく写真を撮らせてくれます。ベネズエラは、世界的な美女大会(ミス・ワールド、ミス・ユニバースなど)で何度も優勝していることもあり、確かに美女が多いと思いました。白人をベースに南米原住民や黒人の血が混ざっていて、その微妙な混血具合が、多くの美女を生み出しているのかもしれません。(石油開発が本格化した20世紀半ば以降のヨーロッパ移民も多く、純粋な白人も少なくありませんが・・・。) |
(写真5:ベネズエラ美女) |
(写真6:アビラ山行きのケーブルカーから見たカラカス) |
なお、ようやくケーブルカーが動き出したのですが、アビラ山は霧に覆われていて、頂上に到着しても、結局何も見ることはできませんでした。しかしながら、ある高度までは晴れ渡っていたため、ケーブルカーの中からカラカス市街を一望することができたのは幸いでした。 |
| その後は、コロニア・トバールに同行したガイドを連れて、カラカスの旧市街(セントロ)に向かいました。外国の首都をガイド付きで歩いたことは今まで一度もなかったのですが、やはり現地の治安が心配でしたので、用心するのに越したことはありません。 旧市街は思った以上に安全な雰囲気で拍子抜けしましたが、この街ではアジア人は珍しく大変目立つ存在であるため、やはり一人で歩くのは避けた方が無難でしょう。本当にアジア人は少ないようで、子供たちの物珍しそうな目付きが今でも忘れられません。 |
(写真7:旧市街の中心に立つボリーバル像) |
旧市街では、街の中心であるボリーバル広場周辺を散策しました。カテドラルや国会議事堂、市庁舎などがありました。少し歩いて建国の英雄であるシモン・ボリーバルの生家にやって来ました。シモン・ボリーバルは“南米解放の父”と呼ばれており、南米の北側の国々の独立に大きな役割を果たした人物です。カラカス出身ということもあり、ベネズエラでは、とりわけ神聖視されています。博物館や美術館を訪れた後、同行してくれたガイドと別れました。 夕方になりましたが、周辺の道路が大渋滞しています。クラクションの音も大変うるさいのですが、ワールドカップの準決勝でイタリアが勝利したため、イタリア系移民の連中が大騒ぎしているということが分かりました。ベネズエラ人とは言っても、20世紀半ば以降のヨーロッパ移民も多いため、ひとくくりにはできないわけですね。国の内部はバラバラなのかもしれません。 |
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