南アフリカ最大の都市、ヨハネスブルグに到着。ここでもあらかじめ予約しておいたAVISのレンタカーをピックアップして、ヨハネスブルグとプレトリアの中間に位置するセンチュリオンにあるホテルに向かいました(ケープタウンでインターネットを使って予約しておいたのです。)ヨハネスブルグの都市構造はロサンゼルスと酷似していて、市街地が広域にわたって分散的に広がっており、その中を車で高速移動する典型的な車社会となっています。ロサンゼルスのフリーウェイを走っているかのような錯覚に陥ってしまうほどでした。街がこんな感じですから、旅行するにはレンタカーを借りるかツアーに参加するしかありません。 |
| 翌日は、ヨハネスブルグ中心部から少し南に位置するゴールド・リーフ・シティに行ってみました。ここは19世紀に世界最大の金鉱があったところで、その跡地がテーマパークやカジノとなっているのです。 基本的には、カリフォルニアにあるテーマパークと何ら変わりはありませんが、「アンダーグラウンド・ツアー」はオススメです。このツアーに参加すると、エレベータで地下にもぐって、かつての金鉱を案内してもらえます。ツアーでは第1層にしか行けないのですが、それでも当時の雰囲気が十分に味わえます。金を溶かして金塊を作る実演ショーも、なかなか面白かったです。ゴールド・リーフ・シティを訪れる際には、この2つだけは是非外さないで下さい。 |
(写真27:ゴールド・リーフ・シティの入口) |
(写真28:アパルトヘイト博物館の入口) |
テーマパーク訪問後は、その横にあるアパルトヘイト博物館を訪れました。徒歩で数分ほどの距離です。アパルトヘイト博物館の入口は、当時の雰囲気を味わってもらうために、かつてのように白人、非白人に分かれていました。白人、非白人の表示が、アフリカーンス語と英語で書かれているのです。街中には、かつてのアパルトヘイト体制を思い起こすものは一切残っていないので、大変貴重です。 なお、このアフリカーンス語とは、オランダ語の一方言で、白人の3分の2にあたるオランダ系が、今も第一言語として使用しています。イギリスによる支配のもと高まったオランダ系の民族主義がアパルトヘイトへと繋がった歴史的経緯もあり、人種差別を象徴する言葉であるとして忌み嫌う黒人も多いそうです。英語とアフリカーンス語併記の看板は今でも多く見掛けます。 |
博物館の見学後は、レンタカーでひたすら東に向かいました。南アフリカ最大の自然公園であるクルーガー国立公園に行くためです。最初は高速道路を使って、どんどん先に進めたのですが、途中から山道になってしまったため、やはり到着前に真っ暗になってしまいました。それでも何とか、その日のうちに公園入口近くのホテルに辿り着きました。(このホテルも旅の途中でインターネットを使って予約しておいたものです。) 翌日は、早速、公園内に向かいました。公園周辺は、かつてホームランドと呼ばれていた黒人居住区が点在しているところでもあり、貧しそうな家も結構見掛けました。どんな僻地にいっても、必ず一定数の黒人がいるという点は、米国との大きな違いかと思います。 |
| そして、公園入口に到着。ここはゲートの管理もしっかりしていました。子供が門の開閉を行っていたナミビアのエトーシャ国立公園とは随分と違います。さすがは文明国だと思いました。 ちょうど雨季だったこともあり、公園内は草木が生い茂っていて、動物は見つけにくかったです。南部アフリカの雨季にあたる時期(年末年始など)に動物を見に行くのでしたら、個人的には、平原が広がるエトーシャ国立公園の方がオススメです。 まあ、それでも、インパラとシマウマはウジャウジャいましたし、象やキリンにも何度か遭遇しました。エトーシャで見ることのなかったサイを見ることもできましたから、そういった意味では大満足です。 |
(写真29:草むらで休んでいたサイ) |
(写真30:間近に迫ってきた象。怖かったです) |
私は丸一日しか滞在できませんでしたが、クルーガー国立公園の敷地は日本の四国と同じくらいあるため、本格的に全部を見ようと思ったら、何日あっても足りません。なお、国立公園に隣接する形で民間が運営している自然公園もいくつかあり、そちらの方が動物が見つけやすく満足度が高いという話も聞きました。 なお、クルーガー国立公園では、最後に土産物屋で買い物するなど、ウダウダしていたら、いつの間にか公園入口の閉門時間を過ぎてしまいました。「時間までに外に出ないと罰金を支払わなければならない」などと入園時に脅されていたのですが、幸いなことに罰金は取られませんでした。いずれにせよ、暗くなってからの運転は危険ですので、早めに出口に向かうに越したことはないでしょう。 |
| そして翌日、ヨハネスブルグ方面に戻りました。ヨハネスブルグ中心部は危険すぎるとの話を聞いていましたので、ホテルはプレトリアに取りました。日曜日だったこともあるのでしょうが、プレトリア中心部は人通りが少なく、あまり雰囲気は良くなかったです。数えるほどの白人観光客もいるにはいましたが、安全と思わせるほどの人数ではありません。あまりウロウロしない方がいいかもしれません。 夕方になったので、日本食を取るべく、ヨハネスブルグ近郊のローズバンクに向かいました。あまり現地の食事は美味しくなかったので、さすがに日本食に飢えてきたのです。「地球の歩き方」に紹介されていたレストランを選んだので、味はまあまあでした。レストランに行く途中、2010年のサッカー・ワールドカップの案内広告を見掛けましたが、この広告以外には特に何も見掛けず、現地は全然盛り上がっていないようです。国際的な信用回復のために大会を誘致はしたものの、南アフリカのサッカー自体があまり強くないことから、盛り上がりに欠けているのかもしれません。 |
(写真31:プレトリアのユニオン・ビル) |
食事後、ローズバンクにあるモールに行ってみました。ロサンゼルスと同様、都市圏の中に巨大モールがいくつか点在していて、ある程度の経済力を持った人たちは、そういった特定の場所に集まって来ます。プレトリア中心部には黒人しかいなかったのに、このモールに来ると白人だらけでした。南アフリカでは、白人は全人口の1割に過ぎないのですが、空港、郊外のモール、テーマパーク、観光地などに行くと、このように、白人と黒人の人口比率が逆転したかのようになります。(ただし、そこで働いているのは黒人が多いのですが・・・。) 旅行の最終日となりました。レンタカーを早めに返して、ヨハネスブルグ中心部と、南アフリカ最大のタウンシップ(黒人居住区)であったソウェトの両方を訪れるバスツアーに参加することにしました。と言いますのも、ヨハネスブルグ中心部やソウェトに直接レンタカーで行くのは危険との情報を得ていたからです。カージャックに遭遇した日本人旅行者の話が外務省の海外危険情報に載っていましたし、ソウェト内の博物館は場所が分かりにくい上に、周辺で駐車スペースを探すのにも苦労すると聞いていたのです。 |
(写真32:”リアル北斗の拳”と称されるヨハネスブルグ中心部) |
私が参加したツアーは、私とオーストリア人女性が1名いたのを除くと、参加者は全員イギリス人でした。ネルソン・マンデラ財団の建物や、ネルソン・マンデラの邸宅などを通過した後、ヨハネスブルグ中心部に入りました。 「ヨハネスブルグは世界一危険な都市」とか、「ヨハネスブルグは『リアル北斗の拳』の世界」とか聞いていましたから、相当危険な雰囲気で満ち溢れているのかと期待していたのですが、怪しげな黒人が歩いているだけで、それほどの危険は感じませんでした。(確かに何とも言えない異様な雰囲気を感じますが・・・。)アパルトヘイト廃止後、仕事のない貧しい黒人や周辺諸国の不法移民が大量に入ってきたため、治安が極度に悪化し、オフィスやホテルが郊外に移転。かつてのオフィスビルやホテルに不法移民が住み着いている場所まであるそうです。 |
| そして、いよいよソウェトにやってきました。アパルトヘイト時代の南ア最大のタウンシップ(黒人居住区)ということで、相当危険な雰囲気で満ち溢れているのかと期待していたのですが、ただ黒人だらけなだけで、それほどの危険は感じませんでした。一応、スラム化した最貧地域も訪れました。訪問した家のおばさんは、自分がいかに貧しい生活をしているかを、一生懸命アピールしていました。(本当に貧しいのか?) これとは対照的に豊かな黒人もいるようです。実際に、ソウェトの入口付近には豪邸が立ち並んでいました。同じ黒人居住区の中に豪邸からスラム街まですべて揃っている事実には驚かされましたが、それだけ黒人間の経済格差も激しいということなのでしょう。今はアパルトヘイトもなくなりましたから、こういった格差は、今後どんどん広がっていくのでしょう。 |
(写真33:アートが描かれていたソウェトの火力発電所跡) |
(写真34:ヘクター少年が白人警官に射殺された際の写真) |
ソウェト訪問の最後には、かつてネルソン・マンデラが住んでいた住居と、ヘクター・ピーターソン博物館を訪れました。ヘクター・ピーターソンとは、南アフリカ政府による黒人学校でのアフリカーンス語の使用強制を契機に起こった暴動「ソウェト蜂起」(1976年6月)において、白人警官によって射殺された当時13歳の少年の名前です。この悲劇が世界中に報道されたことが、その後のアパルトヘイト撤廃へと繋がっていったことから、この少年は黒人の英雄となっているとのことでした。 その夜の飛行機で、セネガルのダカール経由で米国に戻ったわけですが、今回の旅行では、ジンバブエ、ボツワナ、ザンビア、ナミビア、南アフリカ共和国という、それぞれ隣接しながらも、まったく違う発展を遂げてきた国々を垣間見て、アフリカの奥深さを考えさせられる良い機会となりました。アフリカという土地に対する興味が益々わいてきましたので、また近いうちに訪問することができればと考えています。 (おわり) |
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